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第6部 この夢は、まず私たち家族へのメッセージなのか


第10章 私たちの家に何がもたらされているのか


1.まず、私たち家族に向けられた問いなのではないか

ここで、夢の舞台がどこだったのかに戻る必要がある。

舞台は、私たちの家のリビングだった。

そして夢の中には、私、相棒さん、私たち側の子どもたちがいた。

つまり、「日本」という大きな対象を考える以前に、この夢はまず、私たちの家の中で起きている。


相棒さんも単なる背景ではない。女性の名前を知っていて、私に「オラウー」という重要な音を伝える役割を担っている。

また、私たち側の子どもたちも、夢の中に明確に置かれている。


現実では夢と同じ年齢ではないとしても、「私たち側の子どもたち」という認識があったことは重要である。

そのため、この夢の呼びかけを、まず私、相棒さん、息子たちを含む、私たち家族への問いとして受け取ることができる。


つまり、

「認識しなさい。知覚しなさい。目覚めなさい――もたらす者たちよ。」

という呼びかけは、最初から「日本人全体」だけを指しているのではなく、まず私たち自身に向けられている可能性がある。



2.家族に、何がもたらされているのか

第二ヨハネでは、外から誰かが家へやって来る。

そして問われるのは、その人が何をもたらしているのか、である。

家の側は、何でも受け入れるのではない。よく見る。見分ける。そのうえで、何を家に入れるのかを判断する。


これを夢と重ねるなら、最初に問われるのは、

「私たちの家には、何がもたらされているのか。」

ということになる。


どのような思想を受け取っているのか。

どのような宗教的理解を受け取っているのか。

どのような価値観や物語を家の中へ入れているのか。

そして、それが本当は何なのかを、自分たちで認識しているのか。

という問いである。


3.受け取る者は、次には「もたらす者」になる

ここでさらに重要なことがある。

人は、何かを受け取る。そして受け取ったものを、家族へ、子どもへ、共同体へ、次の世代へ渡していく。

つまり、受け取る者は、次の瞬間には「もたらす者」になる。


宗教でも、思想でも、価値観でも、教育でも、政治的な物語でも、家族の常識でも、人は自分が受け取ったものを次へ運んでいる。


だから、「もたらす者たちよ」という言葉を家族への呼びかけとして考えると、

「私たち家族は、何を受け取っているのか。」


そして、

「私たちは、それを何として息子たちや次の世代へ渡しているのか。」

という問いになる。



4.「自分が何を運んでいるのかも知らずに運ぶな」

この夢の中心を、より具体的な日本語へ近づけるなら、

「自分が何を運んでいるのかも知らずに、それを次へ運ぶな。」

という警告として読むこともできる。


まず見る。知覚する。

それが本当は何なのかを認識する。

そのうえで、何を受け入れるのか、何を次へ渡すのかを決める。


つまり、

受け取る → 見る → 見分ける → 理解する → 必要なら翻訳する → 何を次へもたらすかを選ぶ

という流れである。


この問いは、まず私自身と家族に向けて考える必要がある。



5.なぜ子どもたちがいたのか

夢には、女性だけではなく、彼女の子ども、そして私たち側の子どもたちがいた。

現実には存在しない年齢の子どもたちである。


これを象徴として読むなら、子どもたちは、次に受け取る世代を表している可能性がある。

そうすると、「何を受け入れるのか」という問題は、私一人だけの問題ではない。

私たち家族が、それを次の世代へ何として渡すのか、という問題になる。

第二ヨハネも、婦人とその子どもたちから始まり、最後も姉妹の子どもたちで終わる。

つまり、真理、何をもたらすのか、それを見分けること、という問題が、子どもたち、つまり次へ受け継ぐ者たちと結びついているように見える。



6.家族から共同体へ

夢の舞台は、私たちの家だった。

したがって最初の単位は、私たち家族である。

しかしその家には私たちだけではなく、現実には存在しない「ご近所さん」として認識していた女性、その女性の子ども、私たち側の子どもたちが、同じリビングにいた。


つまり夢の「家」は、私たち家族を中心としながら、他者や別の家族も共に存在する空間として描かれている。


第二ヨハネの「選ばれた婦人とその子どもたち」についても、文字どおり一人の女性と家族と読む解釈だけでなく、教会共同体を女性とその子どもたちとして表したものと読む解釈がある。


そこで夢の問いも、まず私自身から、私・相棒さん・息子たちという家族へ、そしてそこから家・共同体、社会へ広がっていく可能性がある。



7.そして、その先に「日本」がある

さらに夢には最初から、「日本」という具体的な場所が登場している。

女性は、「日本に行くの!」という感じで、日本へ行くことを楽しみにしていた。


そして、

「私の名前を日本語にして」

と頼んだ。


つまり、家族へのメッセージと、日本という要素は、どちらか一方だけを選ぶ必要はない。

夢の構造としては、

まず私たちの家で起きる → 私たち家族がその意味を受け取る → そこから共同体へ広がる → さらに日本という場所へ向かう

という複数の層として考えることができる。


したがって、

「認識しなさい。知覚しなさい。目覚めなさい――もたらす者たちよ。」

という呼びかけは、まず私自身、相棒さん、息子たちを含む私たち家族に向けられ、そこから、同じように何かを受け取り、次へ渡している人々、そして日本・日本語を使う人々へ広がっている可能性がある。



8.家から日本へ――問いのスケールが広がる

このように考えると、問いは段階的に広がる。


最初は、

「私自身は、何を受け取っているのか。」


次に、

「私たち家族には、何がもたらされているのか。」


さらに、

「私たちは、それを何として息子たちや次の世代へ渡しているのか。」


そして家から共同体へ広げると、

「私たちの共同体には、何がもたらされているのか。」


さらに夢に出てきた「日本」まで広げれば、

「日本には、何がもたらされているのか。」

という問いになる。


何が外から入ってきているのか。何を真理として受け入れているのか。その意味を本当に理解しているのか。


そして、それを次へ何として渡しているのか。

という問いである。



 
 
 

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