top of page

第10部 結び――何をこの世界へもたらすのか


最終章

第14章 夢から残された問い


1.一つの名前から始まった

今回のことは、夢の中で聞いた一つの名前から始まった。

「オラウー・フェロンデス」


目覚めた時には、その言葉が何語なのかも、何を意味しているのかも分からなかった。

ただ、女性から「私の名前を日本語にして」と頼まれ、相棒さんが「オラウー」という音を伝え、その名前だけが強く残った。


そこから文字を探し、音を確認し、ギリシャ語に辿り着いた。


そして、ὁράου と φέροντες という二つの語形が見えてきた。

ὁράω からは、見る、知覚する、認識するという方向が見えてきた。

φέροντες からは、運ぶ者たち、もたらす者たちという意味が見えてきた。


最初はただ、夢で聞いた名前が何なのかを知りたかっただけだった。

しかし調べていくうちに、その問いは次第に大きくなっていった。



2.「何を意味するのか」から、「私は何を見ているのか」へ

ὁράω を追っていった先で出会ったのが、バラムの物語だった。


そこには、目の前に存在しているのに見えていない者と、先にそれを見ている者がいた。

そして、目が開かれた時、それまで見えていなかったものが見えるようになる。

そこから、「見る」ということは、ただ目に映っているということではないのだと思うようになった。


自分では見ているつもりでも、実際には誰かから与えられた説明を見ているだけかもしれない。

宗教、思想、教育、家族や社会の中で受け取った価値観を、自分自身で確かめることなく「真実」だと思っていることもある。


だからこそ

自分で見る。

知覚する。

認識する。


夢の中の「オラウー」は、私にとって次第に、そうした問いへと繋がっていった。



3.そして、「何をもたらしているのか」へ

さらに φέροντες――「もたらす者たち」という言葉を追っていくと、問いはもう一つの方向へ広がった。


私たちは、ただ何かを受け取っているだけではない。

受け取ったものを、自分の言葉や行動、生き方を通して、また誰かへ渡している。


家族へ。

子どもたちへ。

共同体へ。

社会へ。

そして次の世代へ。


そう考えると、本当に問われているのは、「何を信じているのか」だけではない。


何をこの世界へもたらしているのか。

ということなのだと思う。


宗教や思想が、どのような言葉を掲げているのかだけでは、その本質は分からない。


「神」「宗教」「正義」「平和」「安全」と語られていたとしても、実際に何がもたらされているのかを見る必要がある。


その結果として、恐怖や支配、分断、破壊がもたらされているのなら、見るべきなのは掲げられた言葉ではなく、実際に起きていることである。


逆に、そこに言(ロゴス)、真理、命、光、愛がもたらされているのであれば、それもまた、その人の生き方や行動の中に現れてくる。


つまり最後に残るのは、

「あなたは何を名乗っているのか」


ではなく、

「あなたは何をもたらしているのか」

という問いなのだと思う。


4.「もたらす者たち」とは、私たち自身

最初、「もたらす者たち」という言葉には、何か特別な使命を持った人々という印象もあった。

しかし、ここまで考えてくると、そうではないのかもしれない。


私たちはすでに、何かを運んでいる。

愛だけではない。恐れも運ぶ。真理だけではない。思い込みや偏見も運ぶ。

自分で確かめたものだけではなく、誰かから受け取った説明を、そのまま次へ渡してしまうこともある。


だからこそ、

「自分が何を運んでいるのかも知らずに、運ぶな。」

という問いが残る。


そして、

「もたらす者たちよ。自分たちが何をこの世界へ運んでいるのか、認識しなさい。」

という読みへ繋がっていく。



5.「日本語にして」と頼まれたこと

夢の女性は、私に答えを教えなかった。

「これを信じなさい」とも、「これが真理です」とも言わなかった。

ただ、自分の名前を書き、

「日本語にして」

と頼んだ。


そのため私は、自分で調べることになった。

文字を探し、音を確かめ、原語へ戻り、聖書のギリシャ語まで読むことになった。

そして今、この長い記事として日本語にしている。

そう考えると、夢の中で始まった作業は、目覚めた後もずっと続いていたことになる。

しかし、「日本語にする」ということは、単に外国語を日本語へ置き換えることだけではなかった。


分からないものを、分かる形にする。

見えていなかったものを、自分で見て理解する。

そして、それを必要な人へ届く言葉にする。


私にとっては、そこまで含めて「翻訳」なのだと思う。



6.この夢から私に残ったもの

結局、この夢が何だったのかを、一つの答えに閉じる必要はないのだと思っている。

ただ、この夢を追ったことで、私の中には確かな問いが残った。


私は、本当に自分で見ているのか。

私は、何を真理として受け取っているのか。

私は、それが本当は何なのかを、自分で確かめているのか。

そして私は、何を家族へ、次の世代へ、この世界へもたらしているのか。


その問いは、これからも続いていくのだと思う。

「オラウー・フェロンデス」


夢の中では、それは一人の女性の名前として現れた。



けれど、その名前を追い続けた先で、私に残った言葉は、


「認識しなさい。知覚しなさい。目を開きなさい。目覚めなさい――もたらす者たちよ。」


だった。


そして、その「もたらす者たち」の中には、私自身もいる。


だから私はまず、自分が何を見て、何を受け取り、何をこの世界へもたらしているのかを、これからも見続けていこうと思う。




終わり


日本に住む人たち、日本人へ。

誰かが語る「正しさ」をそのまま受け取るのではなく、自分の目で見て、自分で確かめてほしい。

そして、自分たちが何を受け取り、何を次の世代へ、この世界へもたらしているのかを、今一度見つめてほしい。

私たちは皆、「もたらす者たち」なのだから。

 
 
 

コメント


bottom of page