第4部 「フェロンデス」――もたらす者たち
第8章 「フェロンデス」と古代ギリシャ語
1.「フェロンデス」と古代ギリシャ語
名前の後半の候補、
φέροντες は、古代ギリシャ語に実在する形である。
基本動詞は、φέρωで、
運ぶ
担う
持ってくる
もたらす
という意味を持つ。
その現在能動分詞・男性複数形が、φέροντεςである。
意味は、
運んでいる者たち
担っている者たち
もたらしている者たち
となる。
発音も、後代・現代寄りでは、「フェロンデス」のように聞こえる。
実際に音声を聞き比べたとき、私が夢の記憶に近いと感じたのはこちらだった。
2.「もたらす者たちよ」
φέροντες は、「もたらす者たち」という意味を持ち、形の上では文脈によって、
「もたらす者たちよ」という呼びかけとして読む可能性もある。
そのため夢の二つの語を意味として並べると、
ὁράου → 認識しなさい・知覚しなさい
φέροντες → もたらす者たち/もたらす者たちよ
となる。
ここから、「認識しなさい――もたらす者たちよ。」という読みが生まれる。
ただし文法上、ὁράου は二人称単数であり、φέροντες は複数形である。
したがって、ὁράου φέροντες を通常の古代ギリシャ語の一文として、そのまま、
「認識せよ、もたらす者たちよ」と直訳できるわけではない。
しかし夢の中では、これは文章ではなく、女性の「名前」として提示されていた。
そのため、名前の二つの部分に、それぞれ意味が含まれているという読みをしている。
そして、φέροντες=「もたらす者たち」という意味から、さらに一歩解釈を進めると、
「それぞれ何かしらの役割を持ち、その役割を通して何かをもたらす者たち」
という理解もできる。
ここでいう「もたらす」とは、全員が同じものを運ぶという意味ではない。
それぞれがそれぞれの場所で役割を持ち、その役割を通して、何かを人へ、家族へ、共同体へ、あるいは次の世代へともたらしていく。
そう考えると、「もたらす者たち」という言葉は、単に何かを持ってくる者というだけではなく、それぞれの役割を通して、何かをこの世界へ運んでくる者たちという意味にも広がっていく。
3.夢全体としての言葉
ここまでをまとめると、
ὁράου
→ 見なさい→ 知覚しなさい→ 認識しなさい
そして聖書的文脈を重ねて、
→ 目を開きなさい→ 目覚めなさい
一方、
φέροντες
→ もたらす者たち→ もたらす者たちよ
となる。
したがって夢全体を日本語として表現するなら、
「認識しなさい。知覚しなさい。目を開きなさい――もたらす者たちよ。」
さらに象徴的には、
「認識しなさい。知覚しなさい。目覚めなさい――もたらす者たちよ。」
という読みになる。
続く。







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