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第3部 バラム――見えていなかったものを見る



第6章 バラムと「見る」こと


1.ὁράω と聖書――「見る」「知覚する」


基本動詞 ὁράω は、七十人訳聖書でも使われている。


特に興味深いのが、民数記22〜24章のバラムの物語

である。


この物語では、

「見ること」

そのものが重要なテーマになっている。



2.バラム――見えていなかったものを見る


民数記22章では、バラムには使いの姿が見えていない。

先にその使いを見ているのは、バラム本人ではなく、彼の乗っているロバである。


七十人訳の民数記22章23節では、この使いは、

「神の使い(τὸν ἄγγελον τοῦ θεοῦ)」

と記されている。


ロバには、その神の使いが道に立っているのが見えている。

しかし、バラム本人には見えていない。

つまり、そこに存在しているにもかかわらず、

見る者によって、それが見えているかどうかが違っている。


そして,民数記22章31節で、

神がバラムの目を開く。


するとバラムは、それまで自分には見えていなかった使いが道に立っているのを見る。


ここで七十人訳では、

ὁρᾷ

という ὁράω の活用形が使われている。


つまり、

そこに存在している

しかし本人には見えていない

目を開かれる

初めて見る・知覚する

という流れになっている。


つまりこの物語での「見る」は、単に目に何かが映るというだけではなく、

「それまで認識できていなかったものを認識する」

という意味を帯びている。


なお、七十人訳ではこの使いの呼称について、「神の使い」「主の使い」と表現される箇所があり、写本や版によっても異同がある。


ここで重要なのは、

そこにいるのに見えていなかったものを、目を開かれることによって初めて見る

という物語の構造である。



3.「真に見る者」と「眠りの中のヴィジョン」


さらに民数記24章になると、「見る」というテーマはより明確になる。

バラムは、「真に見る者」という表現で描写される。


さらに、「眠りの中で神のヴィジョンを見る者」という内容が続く。


つまり、

見えていない

目を開かれる

見る

真に見る者

眠りの中で神のヴィジョンを見る


という流れが成立する。


ここで重要なのは、

ὁράω が、神によってそれまで認識できなかったものを認識する文脈に実際に使われているということである。


ὁράω の基本義は、

見る・知覚する・認識する

である。


ὁράω という言葉そのものが、「神的ヴィジョン」を意味するわけではないが、

七十人訳のバラムの物語では、その「見る」という言葉が、


神によって目を開かれ、それまで認識できなかったものを見る


という場面で実際に使われている。


さらに物語が進むと、「真に見る者」


そして、「眠りの中で神のヴィジョンを見る者」

というところまで「見る」というテーマが繋がっていくのである。



第7章 第一の大きなテーマ――「目覚めを促す」


ここから夢の「オラウー」を考えると、まず語そのものから出る意味の方向は、


見なさい

知覚しなさい

認識しなさい


である。


さらに七十人訳のバラム物語では、


そこに存在しているのに見えていない

目を開かれる

初めて見る

真に見る者となる

眠りの中で神のヴィジョンを見る

という流れがある。


その文脈まで重ねると、「目を開きなさい」


そして象徴的には、「目覚めなさい」という読みに繋がる。



つまり、


見る

知覚する

認識する


という一連の働きは、それ自体が最終目的なのではなく、


「それまで見えていなかったものに気づき、目を開くこと」


へ向かっている。


したがって、この夢の第一の大きなテーマは、


「目覚めを促すこと」


だと考えられる。



その「目覚め」は、突然何かを信じることではない。


自分で見る

知覚する

認識する

それまで見えていなかったものに気づく


という過程を通して起こる。



夢の言葉を意味の流れとして表せば、


「認識しなさい。知覚しなさい。目を開きなさい。目覚めなさい。」


という方向になる。


ここで重要なのは、

「目覚めなさい」そのものが ὁράου の直訳なのではない。

ということである。


ὁράω/ὁράου の、

見る・知覚する・認識する

という意味に、バラム物語の、


「目を開かれて、それまで見えていなかったものを見る」


という文脈を重ねたときに、「目を開きなさい」

そして象徴的な意味として、「目覚めなさい」

という読みが生まれてくる。


つまり、この夢の「オラウー」から見えてきた第一のテーマは、


見ることから始まり、知覚し、認識し、それまで見えていなかったものに気づくことによって、目覚めていくこと。


なのである。 続く。

 
 
 

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