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第2部 「オラウー」は何を意味するのか


第3章 二つの古代ギリシャ語候補



夢の中で聞いた女性の名前、「オラウー・フェロンデス」をギリシャ語として調べていく中で、前半の「オラウー」と後半の「フェロンデス」に、それぞれ対応する可能性のある古代ギリシャ語の語形が見つかってきた。



それが、

ὁράου

と、

φέροντες

である。



前半の、ὁράουは、古代ギリシャ語の動詞 ὁράω の活用形。

後半の、φέροντεςは、古代ギリシャ語の動詞 φέρω の活用形である。


この二つは、ただ音が似ているだけではなく、それぞれ古代ギリシャ語として意味を持っている。


まず今回は、夢の中でも特にはっきりと耳に残った、

「オラウー」

から見ていくことにする。



第4章 「オラウー」と古代ギリシャ語 ὁράω

古代ギリシャ語には、ὁράωという動詞がある。


意味の中心は、

見る

知覚する

認識する

といったものになる。


そして、夢の中で相棒さんがゆっくり発音した、「オラウー」という音に近い、

ὁράουという語形がある。


これは別の単語ではなく、ὁράω の活用形の一つである。


関係を簡単にすると、


ὁράω=「見る・知覚する」という基本の動詞

その動詞が文法上変化した形

ὁράου


となる。

ὁράου は、より細かく言えば、現在・中/受動態・命令法・二人称単数の非縮約形にあたる。


少し文法用語が並ぶので、ここではまず、


「あなた」に向けられた命令形の一つ


と考えると分かりやすい。


つまり、夢の中で特に強く残った、「オラウー」という音が、偶然それらしく聞こえるだけではなく、古代ギリシャ語 ὁράω『見る・知覚する』の実在する活用形 ὁράου

と重なってきたのである。



第5章 「オラウー」は単純な「見よ!」なのか


ここは少し注意が必要だった。

ὁράου が ὁράω の命令形だからといって、


そのまま、

「見よ!」

とだけ訳してしまえばいいわけではない。


古代ギリシャ語で、通常の能動態として、

「見よ!」と命令する場合には、別の形がある。


非縮約形では、

ὅραε

縮約された形では、

ὅρα

となる。



つまり、

ὁράου と、通常の能動命令形「見よ」は同じ形ではない。

これは区別しておく必要がある。


ただし、ὁράου の基本となっている動詞が、

ὁράω

であることは変わらない。


そして ὁράω の意味の中心には、

見る

知覚する

認識する

がある。


そのため、夢の「オラウー」を意味として考えるときには、

「見なさい」

「知覚しなさい」

「認識しなさい」

という方向が見えてくる。


ここで私が気になったのは、

「見る」と「認識する」は、本当に同じことなのだろうか

という点だった。


目の前に何かが存在していても、人はそれを「見ている」のに、本当の意味では気づいていないことがある。逆に、それまで見えていなかったものを、ある瞬間に初めて認識することもある。


そこで私は、

ὁράω という言葉が、実際にどのような場面で使われていたのか

を調べていった。


すると、現代まで残されている古代ギリシャ語の文献の中に、ὁράω が使われているものとして聖書があった。


新約聖書には古代ギリシャ語の本文が残されている。

また旧約聖書についても、ヘブライ語などから古代ギリシャ語へ翻訳された、

七十人訳聖書(LXX)が残されている。


そこで私は、聖書のギリシャ語の中で、ὁράω がどのような場面に使われているのか

を調べてみることにした。


すると、七十人訳の民数記の中に、


「そこにあるのに見えていない」


そして、


「目を開かれて、初めて見る」


という、今回の夢を考えるうえで非常に興味深い物語が見つかった。


それが、バラムの物語だった。


続く。



 
 
 

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