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本来の自己へ還る-9章.  本質が主導権を取り戻す

9章.  本質が主導権を取り戻す


影が少しずつ統合されていくと、自分の内側で、何が中心に立つのかが変わり始める。

これまで主導権を握っていたのは、多くの場合、過去の反応だった。


嫌われたく無いから黙る。

傷つきたく無いから離れる。

失敗したく無いから動かない。

愛されたいから合わせる。

怖いから正しさを握り締める。

分かっている人でいたいから、本当の気持ちを隠す。


自分で選んでいるようで、実は反応に動かされていたことがある。

けれど、影を切り捨てずに受け止めていくと、それらの反応が消えるわけでは無くても、もう全てを任せなくて良くなって来る。


怖さはある。でも、怖さだけで選ばなくても良い。

怒りはある。でも、怒りだけで言葉を決めなくても良い。

不安はある。でも、不安だけで未来を閉じなくても良い。


寂しさはある。でも、寂しさだけで誰かにしがみつかなくても良い。

その時、内側で少しずつ主導権が変わっていく。


反応が先に動くのではなく、本質が静かに中心へ戻って来る。

本質が主導権を取り戻すというのは、影が消えることでは無い。

怖さが無くなることでも、怒りが出なくなることでも、不安を感じなくなることでも、いつも穏やかでいられる自分になることでも無い。

むしろ、そうしたものが出て来た時に、それを見ながら、自分の中心から選択できるようになることだ。


今、私は怖がっている。けれど、この怖さだけが私を導く必要は無い。

今、私は怒っている。けれど、この怒りだけが私の言葉を決める必要は無い。

今、私は不安になっている。けれど、この不安だけが私の未来を決める必要は無い。

今、私は傷ついている。けれど、この傷だけが私の在り方を決める必要は無い。

そうやって、反応を否定せずに見ながら、それでも本質の方へ戻って来る。


そこに、主導権の変化がある。

本質は、大きな声で自分を支配するものでは無い。

命令するものでも、急かすものでも、誰かに勝とうとするものでも、正しさで押し切ろうとするものでも無い。


もっと静かだ。


けれど、深いところで、自分を中心へ戻していく力がある。

本質が主導権を取り戻すと、選び方が変わって来る。

怖いからやめる、ではなく、怖さを見たうえで、本当はどうしたいのかを確かめる。


嫌われたく無いから合わせる、ではなく、相手の反応を気にしている自分を見たうえで、自分の本心も大切にする。


正しさや正義感で選ぶ、ではなく、その奥に、怖さや防衛が混じっていないかを見る。


魂が響かないから拒絶する、ではなく、本当に本質から外れているのか、それとも向き合う怖さが出ているのかを見極める。


何もかも分かるまで待つのではなく、今できる一歩を、現実の中で丁寧に選んでいく。


そうした選択の積み重ねの中で、本質は少しずつ主導権を取り戻していく。

それは、劇的な変化として現れるとは限らない。


急に人生が変わるわけでは無い。

急に迷いが消えるわけでも無い。

急に完全な自分になるわけでも無い。

けれど、これまでとは違う選択ができる瞬間が増えていく。


いつものように黙りそうになった時に、少しだけ本心が言える。

いつものように合わせそうになった時に、自分の感覚を確認できる。

いつものように逃げそうになった時に、何が怖いのかを見ることができる。

いつものように自分を責めそうになった時に、その奥の痛みに気付ける。

いつものように正しさを握り締めそうになった時に、少しだけ力を抜ける。


その小さな変化の中で、本質は戻って来る。


主導権を取り戻すというのは、強い自分になることでは無い。

弱さを見せない自分になることでも無い。

何にも揺れない自分になることでも無い。


むしろ、揺れながらも、自分の中心を見失わないことだ。


怖さがあっても、本質へ戻れる。

怒りがあっても、言葉を選べる。

悲しみがあっても、自分を切り捨てなくて良い。

迷いがあっても、目の前の一歩を選べる。


そうやって、本質は日常の中で少しずつ働き始める。

大きな悟りのようなものではなく、目の前の会話の中で。

誰かとの関係の中で。仕事や暮らしの中で。

自分を責めそうになる瞬間の中で。

古い反応に戻りそうになる場面の中で。


その度に、反応ではなく、本質の方へ戻りながら選択していく。


その時、自分の中には、新しい感覚が生まれて来る。


私は、過去の反応だけで生きなくて良い。

私は、誰かの期待だけで自分を決めなくて良い。

私は、傷を守るための仮面だけで生きなくて良い。

私は、影を切り捨てなくても、本質へ戻ることができる。

私は、未完成なままでも、自分の中心から選ぶことができる。

この感覚が育って来ると、意識の向かう先が変わっていく。


外側に証明しようとする力みが、少しずつ弱まっていく。

誰かに認めてもらうために自分を形作る必要が、少しずつ薄くなっていく。

過去の傷を守るために、同じ反応を繰り返す必要が、少しずつ無くなっていく。

その代わりに、自分の内側にある静かな確かさが、少しずつ中心に戻って来る。


それは、完璧な確信では無い。

けれど、以前よりも誤魔化しが効かない。


以前よりも、自分がどこで本質から外れているのかが分かる。

以前よりも、どこで自分を裏切っているのかが分かる。

以前よりも、どこで怖さに主導権を渡しているのかが分かる。


そこに気付けた時、一瞬一瞬の選択が、ただの反応では無くなっていく。


何を言うのか。何を言わないのか。何を続けるのか。何を終わらせるのか。今、その一歩を進めるのか。それとも、また古い反応に戻るのか。

その一つひとつは、小さな選択でありながら、自分をどの方向へ進ませるのかを決めていく、静かな決断でもある。


本質が主導権を取り戻すとは、間違わない自分になることでは無い。

間違った時に、戻って来られる自分になることだ。

反応した時に、気付ける自分になることだ。

怖さに飲み込まれた時に、もう一度中心へ戻れる自分になることだ。

その繰り返しの中で、意識の状態が少しずつ変わっていく。


過去の反応に支配されるのではなく、今の自分として選択し、決断できるようになっていく。

それは、特別な自分になることでは無い。


本来の自分の中心が、少しずつ日常の選択の中に戻って来ることだ。


そこに、目覚めた意識状態への入口がある。


目覚めた意識状態へ。



 
 
 

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