本来の自己に還る-12章. 内なる帰還
12章. 内なる帰還
日常の中で、本質を少しずつ生きるようになっていくと、やがて分かって来ることがある。
自分が向かっていた場所は、どこか遠くにある特別な場所では無かった。
本来の自分とは、これから新しく作り上げるものでは無い。
誰かに認められることで手に入るものでも、何かを達成した先に与えられるものでも、完璧になった時に初めて現れるものでも無い。
それは、ずっと自分の内側にあったものだ。
ただ、過去の傷や、恐れや、条件付けや、誰かの期待や、自分を守るために作って来た仮面によって、その声が見えにくくなっていただけだ。
内なる帰還とは、本来の自分へ戻っていくことだ。
けれど、それは過去の自分に戻ることでは無い。
何も知らなかった頃の自分に戻ることでも、傷つく前の自分に戻ることでも、純粋だった頃だけを取り戻すことでも無い。
むしろ、これまでの経験を抱えたまま、それでも自分の中心へ戻っていくことだ。
傷ついたこと。
迷ったこと。
間違えたこと。
誰かに合わせすぎたこと。
自分を見失ったこと。
恐れから選んでしまったこと。
本心を押し殺して来たこと。
そうした全てを無かったことにするのではなく、それらを通って来た自分として、本質へ還っていく。
だから、内なる帰還は、過去を否定することでは無い。
過去の自分を切り捨てることでも無い。
あの時の自分には、あの時の精一杯があった。
あの選択には、あの時の痛みや恐れがあった。
あの反応には、自分を守ろうとする必死さがあった。
そうやって見ていく時、過去の自分をただ責めるだけではいられなくなる。
責める代わりに、理解が生まれて来る。
理解が生まれると、少しずつ力が抜けていく。
そして、自分を守るために握り締めていたものを、少しずつ手放せるようになっていく。
ここまで、いくつかの段階として書いてきたけれど、これらは一度通り過ぎたら終わるものでは無い。
本来の自分を忘れていることに気付くことも、偽りの自己が解けていくことも、条件付けを見ることも、影が浮上することも、本質へ戻ることも、日常の中で実装していくことも、
それぞれが別々に起きるだけではなく、日常の一つの出来事の中で、同時に起きていることもある。
反応が出た瞬間に、過去の条件付けが見える。
その奥にある恐れに気付く。
そこに影が浮上する。
同時に、本質へ戻ろうとする力も働き始める。そして、その場で何を言うのか、何を言わないのか、どう行動するのかが問われていく。
だから、内なる帰還は、どこかの段階を終えた先にだけあるものでは無い。
それは、全ての過程の中で、何度も何度も起きている。
気付き、見つめ、受け止め、戻り、選び直す。
その繰り返しの中で、帰還は少しずつ深まっていく。
同じ場所を回っているように見えても、実際には、以前よりも深いところで自分を見ている。
以前は気付けなかった反応に気付き、以前は見られなかった恐れを見つめ、以前は受け止められなかった影を受け止め、以前は戻れなかった中心へ、少しずつ戻れるようになっていく。
そのように、何度も繰り返していくうちに、本質への帰還は少しずつ深くなっていく。
内なる帰還とは、自分の中心に戻ることだ。
外側の声に飲み込まれた時。
誰かの期待に合わせすぎた時。
恐れから選びそうになった時。
怒りや悲しみに自分を明け渡しそうになった時。
喜びや成功の中で、自分の中心を見失いそうになった時。
その度に、自分の内側へ戻って来る。
私は今、何を感じているのか。
私は今、何を守ろうとしているのか。
私は今、何を本当は望んでいるのか。
私は今、どこから動こうとしているのか。
私は今、本質から離れているのか。それとも、本質の方へ戻ろうとしているのか。
その問いの中で、自分の中心を思い出していく。
帰還とは、一度だけ起きる完成では無い。
何度も離れ、何度も気付き、何度も戻って来ることだ。
反応に飲み込まれることもある。
恐れに主導権を渡してしまうこともある。
本心を言えないこともある。
同じ選択を繰り返してしまうこともある。
分かっているのに動けないこともある。
それでも、その度に戻って来れば良い。
気付いた時点で、帰還は始まっている。
自分を責めるためではなく、自分を正すためでもなく、完璧な自分になるためでもなく、
ただ、本来の自分の中心へ戻っていくために。
内なる帰還が進んでいくと、外側の世界との関わり方も変わっていく。
誰かに合わせて自分を失うのではなく、自分の中心に立ったまま関わるようになる。
認められるために形を作るのではなく、自分の内側にあるものを誠実に表すようになる。
恐れから握り締めるのではなく、必要なものを選び、違うものは手放せるようになる。
愛されるために自分を変えるのではなく、自分の中心から愛に応えていくようになる。
自分の中心に戻ることで、初めて、相手の存在もまっすぐに見られるようになる。
自分の痛みを相手に重ねるのではなく、過去の傷で相手を判断するのではなく、恐れから相手を変えようとするのではなく、今ここにいる自分として、今ここにいる相手と向き合えるようになっていく。
そこに、関係性の中での帰還がある。

内なる帰還は、静かなものだ。
大きな宣言が必要なわけでは無い。
特別な証明が必要なわけでも無い。
誰かに分かってもらう必要があるわけでも無い。
日常の小さな選択の中で、少しずつ形になっていく。
本心を無かったことにしない。
体の声を無視しない。
違和感を誤魔化さない。
喜びを素直に受け取る。
恐れに気付いた時、そこで立ち止まる。
必要な言葉を、誠実な言葉へと整えて伝える。
自分を責めそうになった時、その奥の痛みに触れる。
本質から外れたと気付いた時、その度に戻って来る。
その一つひとつが、帰還の道になる。そして、戻るたびに、自分の中の確かさが少しずつ育っていく。
私は、私の中心へ戻ることができる。
私は、過去の反応だけで生きなくて良い。
私は、恐れに飲み込まれても、その度に戻って来ることができる。
私は、未完成なままでも、本質の方へ進むことができる。
私は、私自身を見捨てなくて良い。
その感覚が深まっていく時、人は少しずつ、本来の自分として生き始める。
その先にあるのは、完成された自分では無い。
恐れが消えた自分でも、影を持たない自分でも、一度も揺れない自分でも無い。
その先にあるのは、本質に戻り続けながら、本来の自分として生きていく日々だ。
過去の反応に主導権を渡すのではなく、誰かの期待に自分を明け渡すのでもなく、恐れに未来を決めさせるのでもなく、
自分の中心に戻り、その中心から選び、関わり、形にしていく。
そこには、恐れや条件付けに動かされ続けない、静かな自由がある。
その自由の中で、人は自分の内側にあるものを、この世界へと現し始める。
自分の言葉で伝え、自分の感覚で選び、自分の愛し方で愛し、自分の表現で創造していく。
内なる帰還とは、どこかへ到達することでは無い。
本来の自分から離れていたことに気付き、その度に戻って来ることだ。
何か別の存在になるのではなく、本来の自分を思い出していくこと。
自分の外側に答えを探し続けるのではなく、自分の内側にある静かな確かさへ戻っていくこと。
過去の傷や恐れや条件付けに主導権を渡すのではなく、本質を中心に置いて、生き直していくこと。
それが、内なる帰還だ。
そしてその帰還は、終わりでは無い。
内なる帰還の先にあるもの。
それは、どこか遠くにある到達点では無い。
本来の自己として、今ここから、この一瞬一瞬を生きていくことだ。







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