本来の自己へ還る-2. 準備
2. 準備
本来の自分ではないものを、自分だと思って生きている。
そこに気付き始めると、すぐに深い変容へ入りたくなることがある。
もっと早く変わりたい。
本当の自分に戻りたい。
もう古い自分を終わらせたい。
けれど、深い変容に入る前には、準備が必要になる。
それは、特別な儀式や知識を身に付けるということではない。
自分の内側に何が出てきても、そこから逃げずに見つめられるだけの器を整えることだ。
なぜなら、本当の自分に近づこうとするとき、最初に出てくるのは美しい感覚ばかりではないからだ。
見たくなかった恐れ。
認めたくなかった弱さ。
正しさの裏に隠れていた防衛。
誰かを責めることで守ってきた傷。
変わりたいと言いながら、実は変わることを怖がっている自分。
そうしたものが、少しずつ表面に出てくる。
ここで準備がないと、人はそれを真実として見つめる代わりに、すぐに別の物語へ変えてしまう。
自分は悪くない。
相手が悪い。
これは直感だ。
これは使命だ。
私はもう手放した。
私はもう分かっている。
そうやって、エゴは変容さえも自分を守る道具にしてしまう。
だから準備とは、エゴをなくすことではない。
エゴが出てきたときに、それをエゴだと見抜けるだけの正直さを持つこと。
恐れが出てきたときに、それを直感や正しさにすり替えないこと。
傷が反応しているときに、それを本当の自分の声だと決めつけないこと。深い変容に入る前に必要なのは、強さではなく、誠実さだ。
自分の中にある反応を、きれいな言葉で飾らずに見ること。
都合のいい解釈で逃げないこと。
感じていることを否定せず、けれどそれに支配もされないこと。
そのための器が整っていくと、反応にすぐ飲み込まれず、反応と応答のあいだに、ひと呼吸置くような間が生まれ始める。
恐れがあっても、それだけが自分ではないと分かる。
怒りがあっても、それをすぐに行動へ移さなくていいと分かる。
不安があっても、それを真実として握り締めなくていいと分かる。
この、ひと呼吸置くような間が、準備になる。
変容は、これまでの自分を切り捨てるために起こるのではない。
けれど、これまで自分だと思ってきたものが揺らぐ以上、そこには必ず不安が生まれる。
その不安の中でも、自分の内側を見続けられるだけの器を育てること。
それが、深い変容に入る前の準備なのだ。







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