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本来の自己に還る-8章.  影の浮上と統合

8章.  影の浮上と統合


本質の響きが、次の一歩を静かに誘い始めると、それまで奥に沈んでいたものが浮上して来る。


それが、影だ。


影とは、悪い自分のことでは無い。

消さなければならないものでも、切り捨てるべきものでも、本質から外れた失敗でも無い。

影とは、自分の中でまだ光を当てられていないものだ。


見たくなくて奥にしまった感情。

認めたくなくて隠して来た欲求。

傷つきたくなくて閉じ込めた怖さ。

愛されるために否定して来た本心。

正しくあるために押し込めた怒り。

良い人でいるために見ないようにして来た嫉妬。

平気な自分でいるために切り離して来た悲しみ。


そうしたものが、本質の響きに触れた時、少しずつ浮かび上がって来る。

それは、後退では無い。

むしろ、本質へ戻ろうとしているからこそ、これまで見ないようにして来たものが見えて来る。


光が入るから、影が見える。

だから、影が浮上して来た時に、すぐに自分を責めなくて良い。


こんな自分では駄目だ。

まだ私は癒えていない。

まだ私は分かっていない。

まだ私は目覚めていない。

こんな感情があるなら、本当の自分には戻れていない。

そうやって、自分を裁かなくて良い。


影が出て来るということは、自分が悪くなったということでは無い。

隠れていたものが、ようやく意識の上に上がって来ただけだ。

けれど、影を見つけた時、人はそれをすぐに無かったことにしようとする。


怒りを抑え込もうとする。

嫉妬を見ないようにする。

怖さを隠そうとする。

執着を手放したふりをする。

弱さを無かったことにしようとする。


認めたくない自分を、奥へ押し込めようとする。

でも、影は無かったことにしようとすればするほど、形を変えて戻って来る。

見ないようにすれば、無意識の中で動き続ける。押し込めれば、別の反応として出て来る。切り捨てれば、また別の仮面を作る。

だから、必要なのは、影を無かったことにすることでは無く、影の統合だ。

影を、自分の中にあるものとして見ることだ。


私は怒っている。

私は嫉妬している。

私は怖がっている。

私は認められたい。

私は傷つきたく無い。

私は愛されたい。

私は本当は、とても寂しかった。


そうやって、そこにあるものを認める。


それは、その感情のままに行動することでは無い。

怒っているから、誰かを傷つけて良いということでは無い。

嫉妬しているから、相手を引き下げて良いということでは無い。

怖いから、何でも拒絶して良いということでは無い。

寂しいから、誰かにしがみついて良いということでは無い。

影を認めることと、影に飲み込まれることは違う。


統合とは、影を正当化することでは無い。

けれど、無かったことにすることでも無い。


そこにあるものを見て、その奥にある痛みや願いを受け取っていくことだ。


怒りの奥には、守られなかった自分がいることがある。

嫉妬の奥には、本当は自分も望んでいたものがあることがある。

怖さの奥には、もう二度と傷つきたく無い自分がいることがある。

執着の奥には、失うことへの深い不安があることがある。

強がりの奥には、本当は助けて欲しかった自分がいることがある。


影は、ただ暗いものでは無い。

その奥には、自分が置き去りにして来た本当の感覚が隠れている。

だから、影を統合するというのは、暗さを抱え込むことでは無い。

影の中に閉じ込められていた自分の一部を、もう一度迎えに行くことだ。


私は、こんな自分を見たくなかった。

私は、この感情を持っている自分を認めたくなかった。

私は、こう感じてしまう自分を恥ずかしいと思っていた。

私は、これを感じたら愛されないと思っていた。

そうやって見ていくと、影は少しずつ姿を変えていく。


敵では無くなる。

切り捨てるべきものでも無くなる。

それは、これまで自分を守ろうとして来た、未熟で、不器用で、傷ついた反応だったのだと分かって来る。


その時、影との関係が変わる。


影に飲み込まれるのでは無く、影を否定するのでも無く、影を美化するのでも無く、

ただ、それを自分の中にあるものとして受け止める。

そして、その影が何を守ろうとしていたのかを見る。


何を怖がっていたのか。

何を欲しがっていたのか。

何を失いたくなかったのか。

何を言えずにいたのか。

何をずっと分かって欲しかったのか。


そこまで見えて来ると、影はただの邪魔者では無くなる。


それは、本質から切り離されたまま、長い間置き去りにされていた自分の一部になる。


統合とは、その置き去りにされた部分を、本質の光の中へ戻していくことだ。


その時、必要なのは、完璧な自分になることでは無い。

影の無い自分になることでも無い。

もう二度と反応しない自分になることでも無い。


むしろ、反応が起きた時に、自分の中で何が動いているのかを見られること。

怖さが出た時に、その怖さの奥にある痛みに気付けること。

嫉妬が出た時に、自分が本当は何を望んでいたのかを受け取れること。

怒りが出た時に、その怒りが何を守ろうとしているのかを見られること。


こうした中で、影は少しずつ統合されていく。


影を統合していくと、自分の中の分裂が少しずつ静まっていく。

良い自分と悪い自分。

見せたい自分と隠したい自分。

愛されるための自分と、本当は叫びたい自分。

光に向かいたい自分と、怖くて進めない自分。


そうした分かれた自分たちが、少しずつ一つの内側へ戻って来る。


すると、本質の響きは、さらに深く聞こえるようになる。

なぜなら、本質の声をかき消していた影が、少しずつ敵では無くなっていくからだ。


怖さを見ても、もうすぐに逃げなくて良くなる。

怒りを見ても、すぐに自分を責めなくて良くなる。

嫉妬を見ても、自分を汚いもののように扱わなくて良くなる。

弱さを見ても、それだけで価値が無いと思わなくて良くなる。


その時、内側に、反応に飲み込まれない静けさが生まれて来る。

影を抱えたままでも、本質へ戻ることができる。

未完成なままでも、次の一歩を選ぶことができる。

怖さが残っていても、自分の中心から外れずにいられる。


それが、統合の力だ。


影を消したから、本質に戻るのでは無い。

影を見て、受け止め、そこに閉じ込められていた自分を取り戻すから、本質が少しずつ主導権を取り戻していく。


本質は、影を排除して輝くものでは無い。


影さえも見つめ、そこにある痛みや願いを受け取った時、より深く、静かに、内側から立ち上がって来る。

その時、自分の中で何かが変わり始める。


もう、過去の反応だけで動かなくて良い。

もう、傷を守るための仮面だけで生きなくて良い。

もう、見たくない自分を切り捨てながら、光だけを目指さなくて良い。

影の浮上は、本質から遠ざかることでは無い。


本質が主導権を取り戻す前に、そこから外れていたものが、もう一度統合されていく過程なのだ。


本質が主導権を取り戻す。



 
 
 

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