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本来の自己に還る-7章.  本質の響きに触れる

7章.  本質の響きに触れる

純粋知覚が目覚め始めると、物事をただ見るだけでは終わらなくなる。


余計な色付けが少しずつ外れていくと、その奥で、自分の内側が静かに反応し始める。


それは、思考で作った答えでは無い。

誰かに教えられた正しさでも、過去の傷から作られた防衛でも、愛されるために選んだ役割でも、自分を守るために握って来た反応でも無い。


もっと奥にある、静かな響きである。


その響きは、大きな声で何かを命令して来るものでは無い。

これをしなさい。あれを選びなさい。これが正しい。これがあなたの道だ。

そういうふうに、外側から強く押して来るものでは無い。

むしろ、とても静かだ。


けれど、どこかで分かっている。

これは、もう違う。

これは、私の本当では無い。

このままでは、もう自分の中心から外れてしまう。

怖いけれど、私は本当はこの方向へ進みたい。

まだ形にはなっていないけれど、ここに次の一歩がある。


そうした感覚が、言葉になる前に、内側で響いて来る。

本質の響きとは、正解を決めつける声では無い。

けれど、自分を次の一歩へと静かに誘って来る。

その誘いは、強制では無い。

急かすものでも、脅すものでも、責めるものでも、誰かに認めてもらおうとするものでも無い。

ただ、内側の奥から、こちらへ戻っておいでと呼ばれるような感覚だ。


その響きに触れると、自分の中で、何が本当で、何がもう違うのかが、少しずつ分かって来る。


思考ではまだ理由を並べられない。

誰かにうまく説明できるほど、形にもなっていない。

けれど、内側ではもう、何かが静かに動き出している。


本当は、もう前と同じようには戻れない。

本当は、これまでの在り方を続けたく無い。

本当は、もっと正直に生きたい。

本当は、もっと自分の中心から選びたい。


そういう感覚が、静かに立ち上がって来る。

けれど、本質の響きに触れるというのは、いつも心地良いことばかりでは無い。

なぜなら、その響きは、自分を誤魔化したままでは聞こえないからだ。


本当は違うと感じているのに、納得したふりをしていること。

本当は終わっていると感じているのに、握り締めていること。

本当は進みたいのに、怖さを理由に止まっていること。

本当は正直でいたいのに、まだ本心を隠していること。

本当は自分の中心から選びたいのに、誰かの反応を先に見ていること。

そうしたものが、響きに触れた場所で、少しずつ揺れ始める。

だから、本質の響きは優しいだけでは無い。

静かだけれど、誤魔化しが効かない。

無理に何かを壊そうとするわけでは無い。

これまでの自分を切り捨てようとするわけでも無い。


ただ、もう本当では無いものを、そのまま続けられなくしていく。

その響きに触れた時、人は少し立ち止まる。

何かを語る前に、何かを正当化する前に、何かを決めつける前に、

自分の内側にある静かな確かさに触れる。


それは、理想の自分の声とは違う。


こうあるべきだ。

もっと強くあるべきだ。

もっと許すべきだ。

もっと美しくあるべきだ。

もっと目覚めた人であるべきだ。


そういう声は、大抵、思考が作った理想だ。

本質の響きは、もっと素朴だ。


私は本当は、喜びたい。

私は本当は、楽しみたい。

私は本当は、嬉しく在りたい。

私は本当は、愛したい。

私は本当は、自由でいたい。

私は本当は、もっと自分のままで生きたい。


その響きは、飾られていない。

立派でも無い。特別でも無い。誰かに見せるためのものでも無い。

ただ、自分の奥にある、正直な感覚としてそこにある。


そこに触れると、自分の内側で、何かが静かに整っていく。

大きな変化が突然起きるというより、向きが変わる。

外側に合わせていた意識が、少しずつ自分の中心へ戻って来る。

誰かの期待に応えようとしていた意識が、自分自身の内面へと向き始める。

正しさで固めていた心が、もう少し素直な場所へ降りて来る。

その時、次の一歩は、思考で無理やり決めるものでは無くなる。

内側の響きに耳を澄ませながら、少しずつ選んでいくものになる。


ただし、それは、自分勝手を良しとするものでは無い。

本質の響きに従うというのは、自分の都合に合わないものを、何でも拒絶して良いということでは無い。

けれど同時に、魂が響かないものを、無理に続けることでも無い。

大切なのは、それが本当に自分の本質から外れているのか、それとも、向き合うことへの怖さから避けようとしているのかを、丁寧に見極めることだ。


「魂が響かない」という言葉を、自分が向き合いたく無いものから逃げるための理由にしてしまえば、それは本質ではなく、ただの逃避になる。


誰かの言葉を聞かなくなることでも、現実の責任から離れることでも、自分の感情だけを真実として押し通すことでも無い。


本質の響きは、自分を中心へ戻す。


けれど、それは他者や現実を切り捨てるためのものでは無い。

本質の響きは、現実から離れた場所で、完成された答えとして降って来るものでは無い。

むしろ、今、目の前にあることに一つひとつ誠実に取り組む中で、少しずつ見えて来ることがある。


コツコツと行動し、現実の中で確かめていくからこそ、自分の内側にある本当の感覚も、よりはっきりして来る。


内側で響いたものを、現実の中で少しずつ選び、行動しながら答え合わせをしていく。


本質の響きは、どこか遠くから完成された形で与えられるものでは無く、今の自分が目の前の一歩をどう選ぶのか、その積み重ねの中で少しずつ輪郭を現して来る。


今、何を言うのか。

何をやめるのか。

何を選び直すのか。

何をもう続けないのか。

どの場面で、どの選択の中で、どの関係性の中で、自分の本当の感覚を裏切らずにいられるのか。


その一つひとつが、本質へ戻る小さな一歩になっていく。

けれど、その一歩を前にした時、人は必ず、自分の中に残っている怖さにも触れる。


本当は進みたい。でも、怖い。

本当は正直でいたい。でも、嫌われたく無い。

本当は自由でいたい。でも、誰かの評価が気になる。

本当は自分の中心に戻りたい。でも、古い仮面を手放すのが怖い。

本質の響きが次へ誘うほど、その一歩を止めているものも浮かび上がって来る。


それは、後退では無く、本質から外れているものが、ようやく見える場所まで浮上して来ただけだ。


だから、この段階で出て来る怖さや抵抗を、敵にしなくて良い。

それらもまた、これまで自分を守ろうとして来たものだからだ。

けれど、もうそこに飲み込まれたままではいられない。


本質の響きは、静かに次の一歩を誘っている。


そして、その一歩の前に立った時、影が浮かび上がる。


影の浮上と統合へ。




 
 
 

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