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本来の自己に還る-5. 内側の静寂

5. 内側の静寂


条件付けに気付き始めると、内側に、少しずつ静けさが生まれてくる。

それは、何も感じなくなることでは無い。


感情を消すことでも、

反応を抑え込むことでも、

何にも動じない自分になることでも無い。


むしろ、感じているものを感じながら、それにすぐ飲み込まれなくなることだ。


怒りが出てくる。

不安が出てくる。

怖さが出てくる。

悲しみが出てくる。

誰かに分かってほしい気持ちが出てくる。


けれど、その全てをすぐに言葉や行動に変えなくても良くなる。


今、私は怒っている。

今、私は怖がっている。

今、私は傷ついている。

今、私は反応しそうになっている。


そのように、自分の中で起きているものを見ていられる場所が生まれてくる。

それが、内側の静寂だ。


静寂というと、何も起きていない状態のように感じるかもしれない。

けれど、本当の静寂は、何も無いことでは無い。

むしろ、色々なものが起きている中で、それでも自分の中心に戻れることだ。


外側では、誰かが何かを言う。

状況が動く。

感情が揺れる。

過去の記憶が反応する。

不安が顔を出す。

それでも、その全てに引きずられずに、自分の内側に戻ってこられる。

その場所は、頭で作るものでは無い。

正しい答えを出そうとして辿り着く場所でも無い。


むしろ、頭の中でずっと続いていた声が、少しずつ静まっていった先に現れる。


どう思われるか。

間違っていないか。

嫌われないか。

失敗しないか。

ちゃんとできているか。

私はこれで良いのか。


そうした声が、完全に消えるわけでは無い。

けれど、その声だけが自分の全てでは無いと分かってくる。

すると、思考の奥に、もう少し深い場所があることに気付き始める。


そこには、慌てて答えを出そうとする動きが無い。

誰かに認めてもらうために形を整えようとする動きも無い。

自分を正当化しようとする力みも無い。

過去の傷を守るために、先回りして構える必要も無い。

ただ、静かに在る場所。


そこに触れると、自分がどれほど外側の反応に引っ張られていたのかが見えてくる。


相手の言葉に合わせていた自分。

場の空気に自分を合わせていた自分。

傷つかないために先に身構えていた自分。

愛されるために、自分を小さくしていた自分。

正しくあることで、自分を守ろうとしていた自分。

それらが見えてくる。


けれど、その静けさの中では、それを責める必要が無い。

ああ、私はそうやって自分を守ってきたのだ。


そう気付くだけで良い。


内側の静寂は、自分を裁く場所では無い。

これまでの自分を責める場所でも無い。

本当の自分に戻るために、まず自分の中で起きていることを、そのまま見られる場所だ。


その静けさが少しずつ深まっていくと、反応の勢いが弱まってくる。


すぐに言い返さなくても良くなる。

すぐに答えを出さなくても良くなる。

すぐに相手に合わせなくても良くなる。

すぐに自分を責めなくても良くなる。

すぐに何者かになろうとしなくても良くなる。

その代わりに、ひと呼吸置くような間が生まれる。


その間の中で、自分の本当の感覚を確かめられるようになる。


私は本当はどう感じているのか。

私は本当は何を望んでいるのか。

私は本当は何を恐れているのか。

私は本当はどこに向かいたいのか。

私は本当は、何をもう続けたく無いのか。


その問いは、頭で答えを作るためのものでは無い。

内側から浮かび上がってくるものを、静かに受け取るためのものだ。

だから、この段階では、急がなくて良い。

早く変わろうとしなくて良い。

早く答えを出そうとしなくて良い。

早く本当の自分を見つけようとしなくて良い。

本当の自分は、無理やり探し出すものでは無い。

静けさの中で、少しずつ姿を現して来るものだ。


偽りの自己が解け、

条件付けの反応が見え始め、

その反応に飲み込まれない間が生まれた時、

内側には、これまでとは違う静かな場所が開いてくる。


そこでは、もう過去の反応だけで自分を決めなくて良い。

誰かの期待だけで、自分を形作らなくて良い。

傷を守るための仮面だけで、生き続けなくて良い。

その静けさの中で、初めて、物事をそのまま見る力が目を覚まし始める。


純粋知覚の目覚めへ。



 
 
 

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