top of page

本来の自己に還る-10章.  目覚めた意識状態

10章.  目覚めた意識状態


本質が少しずつ主導権を取り戻していくと、意識の状態そのものが変わり始める。

それは、特別な人になることでは無い。

何も感じなくなることでも、全てを許せる人になることでも、いつも穏やかでいられることでも、迷いや不安が完全に消えることでも無い。

むしろ、感情も反応もありながら、それに自分の全てを明け渡さなくなることだ。


怒りは出て来る。

不安も出て来る。

悲しみも出て来る。

怖さも出て来る。

過去の傷が反応することもある。

同じように、喜びが湧いて来ることもある。

嬉しさに心が動くこともある。

愛されていると感じることもある。

誰かに褒められて、満たされることもある。

物事がうまく進み、心が大きく開くこともある。


けれど、そうした感情や反応が出て来ても、それが自分そのものだとは思わなくなる。


私は怒りそのものでは無い。

私は不安そのものでは無い。

私は悲しみそのものでは無い。

私は怖さそのものでは無い。

私は過去の傷そのものでは無い。


そして、誰かからの評価そのものでも無い。

うまくいった結果そのものでも無い。

愛されているという感覚そのものでも無い。


それらは、私の中に起きているものだ。

けれど、それらが私の全てでは無い。


そのことが、ただの考えではなく、内側の実感として分かって来る。


目覚めた意識状態とは、現実から離れた高い場所に行くことでは無い。

むしろ、今ここで起きていることに、より深く気付いている状態だ。

自分の中で何が動いているのか。

何に反応しているのか。

私の中のどこで、怖さが出ているのか。

どこで本心を隠そうとしているのか。

どこで正しさや正義感を使って、自分を守ろうとしているのか。

どこで本質から外れようとしているのか。


そして同時に、私の中のどこで、嬉しさの中で中心から離れそうになっているのか。

どこで誰かの評価に自分の価値を預けようとしているのか。

どこで愛されている安心に寄りかかろうとしているのか。

どこで喜びや成功の中で、自分の中心から離れそうになっているのか。

そうしたものに、以前よりも早く気付けるようになっていく。


そして、気付けるからこそ、そこから戻ることができる。


反応に飲み込まれたままではなく、

傷の中に入り込んだままではなく、

怖さに主導権を渡したままではなく、

その度に、自分の中心へ戻って来ることができる。


それは、大きな悟りのようなものでは無い。

もっと静かで、もっと具体的なものだ。


誰かの言葉に反応しそうになった時に、一瞬止まれる。

不安に未来を決めさせそうになった時に、それが未来の答えではなく、今の自分の反応なのだと気付ける。

怒りで言葉を投げつけそうになった時に、その奥の痛みに気付ける。

相手に合わせて自分を置き去りにしそうになった時に、自分の本心へ戻れる。

正しさを握り締めそうになった時に、少しだけ力を抜ける。

嬉しさに心が動いた時に、その喜びを感謝として受け取り、自分の中心に留まれる。

誰かに褒められた時に、その言葉を感謝として受け取り、自分の内側にある価値も思い出せる。

愛されていると感じた時に、その愛を感謝として受け取り、自分の中心で応えていける。

物事がうまく進んだ時に、その流れを感謝として受け取り、落ち着いて次の一歩へ進める。


こうした小さな気付きの中に、目覚めた意識状態は現れている。


目覚めた意識状態では、出来事にすぐ意味を被せなくなる。

感情を、真実そのものとして握り締めなくなる。

反応を、自分そのものだと思い込まなくなる。

誰かの言葉や態度に、過去の傷を重ねて見なくなる。

喜びや成功の中でも、自分の中心を見失いにくくなる。

出来事は出来事として見え始める。

感情は感情として見え始める。

反応は反応として見え始める。


その見え方の変化によって、感じているものに飲み込まれにくくなっていく。


悲しみを感じる。その悲しみを抱えながら、自分の中心へ戻っていく。

怒りを感じる。その怒りの奥にある痛みを受け止めながら、言葉を選んでいく。

怖さを感じる。その怖さを見つめながら、今の一歩を確かめていく。

愛されたい気持ちを感じる。その欲求の奥にある願いを受け止めながら、自分の中心から応えていく。

喜びを感じる。その喜びを感謝として受け取りながら、自分の中心に留まる。

愛されていると感じる。その安心を受け取りながら、自分の内側にある価値にも触れている。

うまくいっている時には、その流れを喜びながら、感謝とともに進んでいく。


そのように、感じているものを否定せずに、それでも中心に戻っていく。

喜びや成功が訪れた時にも、それを自分の中心で受け止められるようになる。

褒められた言葉を感謝として受け取り、愛された安心をそのまま受け取り、その上で落ち着いていられる。


その積み重ねの中で、謙遜も自然に身に付いていく。

この状態では、自分を誤魔化すことが難しくなる。


本当は違うと分かっていること。

本当はもう終わっていると感じていること。

本当は怖さから選んでいること。

本当は本質から外れていること。本当は自分を裏切っていること。


そうしたものが、以前よりもはっきり分かるようになる。

それは、時に苦しさを伴う。


気付かなければ、これまで通りでいられたかもしれない。

見なければ、何も変えなくて済んだかもしれない。

分からないふりをしていれば、古い安心の中に留まれたかもしれない。

けれど、一度気付いてしまうと、もう同じようには戻れない。

それは、本質が自分を本来の場所へ戻そうとしているからだ。


目覚めた意識状態とは、常に光の中にいることでは無い。

影が出て来ない状態でも無い。

むしろ、影が出て来ても、自分の中心を見失わずにいられる状態だ。

怖さが出ても、怒りが出ても、嫉妬が出ても、弱さが出ても、未熟な反応が出ても、

それを自分の中から追い出そうとしない。

けれど、それに全てを任せることもしない。


見て、受け止めて、必要なら立ち止まり、その度に中心へ戻る。

その繰り返しの中で、意識は少しずつ安定していく。


ここでいう安定とは、揺れないことでは無い。


揺れても戻れることだ。

反応しても気付けることだ。

間違っても、そこから学べることだ。

怖さに飲み込まれても、その度に本質の方へ戻って来られることだ。

その時、人は少しずつ、自分を信頼できるようになっていく。

完璧だから信頼するのでは無い。

間違わないから信頼するのでも無い。

どんな反応が出ても、どんな影が現れても、その度に自分の中心へ戻る力があると分かるからだ。


それが、目覚めた意識状態の土台になる。


この状態が育って来ると、生き方そのものが少しずつ変わっていく。


何かを証明するために生きるのではなくなる。

誰かに認められるために自分を形作る必要が薄くなっていく。

過去の傷を守るためだけに選択しなくなっていく。

恐れからではなく、本質から一歩を決められるようになっていく。


そして、日常の中で、自分がどの意識状態から動いているのかに気付くようになる。


怖さから動いているのか。

愛から動いているのか。

防衛から動いているのか。

本質から動いているのか。

過去の反応から動いているのか。

今の自分として選択しているのか。


その違いが、以前よりもはっきりして来る。


目覚めた意識状態とは、特別な瞬間だけに現れるものでは無い。


静かな部屋の中だけで保たれるものでも無い。


誰かと話している時。

仕事をしている時。

家事をしている時。

怒りが湧いた時。

不安になった時。

嬉しさに心が動いた時。

誰かに褒められた時。

物事が思い通りに進んだ時。

選択を迫られた時。

自分を誤魔化しそうになった時。


その一つひとつの場面の中で、意識の状態は現れている。

だから、目覚めは日常から切り離せない。

どれだけ深い気付きがあっても、それを日常の中で、言葉や選択、行動として表せなければ、ただの理解で終わってしまう。


本質に戻るとは、日常の外側で完成されることでは無い。

日常の中で、何度も何度も自分の中心へ戻り、その中心から選択し、決断し、行動していくことだ。


目覚めた意識状態は、そのための土台になる。

そして次に大切なのは、その意識状態を、実際の暮らしの中でどう生きるのかということだ。


日常への実装へ。



 
 
 

コメント


bottom of page