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神との約束 ”I AM 私は存在する。” 

更新日:2022年5月25日

I AM LIGHT  私は光

I AM LOVE  私は愛 

I AM THE TRUTH 私は真実

I AM       私は存在する。


(こちらの写真は、セドナに流れ込むオーククリーク、自分で撮ったぞ。)

去年の夏にアメブロの記事にも書いたマントラ


最後の『私は存在する』の部分はまだ書いてないので、記事にしようかと。

このマントラは、私の中奥深くにある。

宇宙の仲間達から送られてくるマントラで聞いたことある方は多いだろう。

このマントラは、強烈に地球の波動を引き上げていく。

人、一人一人がこの大いなる波動と同調していくことで、地球自体が自分達と一緒に波動上昇していく。

もとい、地球が波動上昇していくのについていけるように自分を整えるマントラとも言えるかな。

『私は存在する』の部分。

漠然としてる感じに思える方も多いかもしれない。

私の話になるけど、20年くらい前、9.11が起こった3ヶ月後に当時の主人の仕事でアメリカに移住することになっていた。

9.11が起こったことで、辞令が遅れ、必要な書類製作が出来ず、その後1年ほど辞令を待つ流れになった。(その間生活保障が出ずに貯金を切り崩すことに、、、)

軍事機関なので内部はほんとパニック状態。

アメリカでの仕事は既に決まっていて、『何月何日何時までに書類を持参で本人が出向くこと』をしなければならず、飛行機に乗る3時間前まで、必要な書類(仕事関係、政府関係)も発行されていない、家も引き払っていない、荷物もある、、、っていう状態。

2週間くらい仮眠だけで生活していたくらいドタバタしていた。

当時息子達は、2歳児と1歳児だったかな。

必要な書類がないのに渡米する。

もうね、ありえない状態でした。

政府(軍事)の命令での渡米なので、どうにかなる!というか、どうにかする。

(どうにもしてくれんけど。)

という流れで9.11後〜渡米前には、蓄えていた貯金も底をつき、

ポケットに¥3000しかない状態で、汗だくのTシャツ&ジーンズという身なりで飛行機に飛び乗る。

ベビーカー、スーツケース4つ、二人の幼児、ってな感じ。

あ。当時の主人も書類を貰うのに駆けずり回って、空港で待ち合わせでした。

ほとんど現金を持たないまま、私のクレジットカードだけが頼みの綱。

台北経由で一泊してアメリカに入りました。

まあ、問題なく。

その後、ホテルに2泊くらいして、軍から住むところを決めてもらった翌日には、元主人は

出張で3ヶ月留守になることに。

クレジットカードで車2台の頭金、必要な調理器具を買い、

どうにか食べていくことができるか?!な生活に突入。

車がないと買い物にも行けないところなので。

何もない空っぽの家の中

ほとんどキャンプ状態での私と子供達での生活を余儀なくされた。

右も左もわからない、場所。

言葉も不自由。

知っている人もごくわずか。(元主人の同僚とか)

それどころか、なんとビザがない。(とりあえず3ヶ月は往復チケットでおk?)

軍病院への手続きも出来ていない。

病院に行けてないから、検査できずコンタクトレンズが買えない。度の合わないメガネしかなく、たった一ペアの使い捨てコンタクトを3ヶ月使った。笑

ノースカロライナは、国際運転免許証が3ヶ月しか使えない。

(なのでアメリカでの運転免許証が必須)

なぜか、独身としての給料しかもらっておらず、家族手当なし。

ということで、まるでお金がない。(既にクレジットも一杯一杯)

な状態で元主人が帰ってくるまで、まるで修行の様だった。

なぜにこんなことに?

と自問自答。

私が選択する余地などまるでなかったんだけど。

私自身の親も既にいないので、頼れるところはない。

日本には住所がない。

帰るところもない。

新たな生活のスタートがこれ?

こういう状態になると

とても奇妙な話だけど、

自分っていう存在が朧げになる。

私を認識、周知してくれる人達がいない。(子供達を除く)

ビザがないので結果、不法なので外に知られていない。知られては行けない。

(これは、のちに解決した)

病院などの手続きも出来ないので病気になってもどうにもならない。

(これは子供達も同様・恐かった。)

自分という存在が、ここではないものとして扱われる。

(公式には。)

するとね、自分の名前さえ世間では認めてもらえないわけだから、(認知されない)

自分自身を証明するものなど何もなくなって行く。

元主人は、仕事でいないので、(書類なのど手続きはこの人しかできない)

助けにならない。この時点で、この人に関することは諦めた。笑

子供達を一番に考えて、ミルク、オムツ、幼児食作りを少ないお金で頑張った。

この子達がいたから、乗り切れた時期。

こういう状態でいると、

自分自身という認識があやふやになってきて、

ここにきて、やっと自分という名前の人間というものはとてつもなくあやふやで、その名前が周囲に認知されていることで自分という人間が確立していたのだと知った。

周りの人や政府機関、保険、学校などの周知によって、自分自身って確立していたのだと。

その反面、

名前などなくとも、私はここに存在しているということが浮き彫りになった。

悲痛の叫びを上げていたこの時期に

文句を言う相手なんて『神』くらいしかおらず

子供達に訊かれたくないので心の中で文句言いまくっていたし、

助けてとも言いまくっていた。

本当に神や天使が存在するのであれば、証拠を見せてくれ!

どうしてこんなことになったのか、私がどうしてこんな状況に陥っているのか、

質問しまくっていた。

するとね、

心の中で自分自身との対話が始まった。

何か言うとそれに対することを返答している自分がいる。

あれ?と思って慎重にその返答を分析したりして、

それ自体が自分自身の奥深くに繋がっている神(ソース・根源)という存在との対話なのだと気づいた。

同時進行で色々な現象も起こった。

私が見ている外の世界、要は現実に起こるちょっとした事柄に

悲痛の質問の応えをみた。

疑い深い私は、現象としての証拠をくれと常に言っていた。

この時に心の底から天使が存在していることを認めたのだった。

誰に認知されていなくとも、

世間が認めなくとも、

住んでていいよっていう国がなくとも

私は私なのだ。

私という個人は存在していて、

その存在がこの世にあるという事実が、

私という存在を確立している。

私という肉体を持った個人の中にはしっかりと繋がる大いなる存在(神・ソース・根源)があるのだ。

私は私。そして、私は私の神なのだ。

その事実を知っていることは、私を確立して行く上でなくてはならないことではないだろうか。

その2年後には日本へ引っ越しとなった。

文句言ったよね、神様に。

マイナスからのスタートだったアメリカ生活。

自分自身の持っている常識を真っ新にして、0から生きる覚悟して、

前を向いていたのに、日本に引き戻されるなんて。

『あなたに奉仕への鍵をお渡しします。』

と役割を担ったのだった。

『え。その証拠として本物の鍵ちょうだい。』

と言ったらすぐに新車の鍵を貰った。アメリカに戻ってくることになる約束と証拠の鍵。笑

新車はアメリカでお留守番。

日本に帰ってきてからヒーリング講師をすることになり、私という個人を周知してくれる人たちによって、私という人が学び確立していくことに多大なる感謝となった。

私という個人がどんなに『ヒーリングティーチャーになる!』と思っていたとしても

『あなたから学びたい』と言ってくれる人がいなければ、どんなに願っていてもティーチャーという位置には立てないからだ。

周りの方々が背中を押してくれて、自分という歯車は動き出すのも本当のことだ。

6年後にアメリカへ戻ることになった。

今度はちゃんと永住権を取得して。笑

(不法滞在時期をチャラにする手続きって大変なので真似しないでね。笑)

最初のアメリカ生活でのクレジットカードの借金は5年かけて返しましたー。

アメリカ移住をして、その6年後くらいに離婚して、相棒さんと暮らし始めて今に至る。 移住13年目かな。

I AM  私は存在する。

それは、宇宙の根源であるソース(神)との約束。

私が主催しているクマラ・アセンション・ヒーリングの中に

『在りて在る我』

『我は我が神なり』

という言霊(マントラ)がある。

このふたつの言霊は、

I AM LIGHT  私は光

I AM LOVE  私は愛 

I AM THE TRUTH 私は真実

I AM       私は存在する。

というマントラ(言霊)と同意だと私は感じている。

この春分に(有料)一斉ヒーリングを行います。

この時期に必要なのは自分確認なのではなかと思います。

自身の軸をしっかりと立てて、自分自身と周りとの歯車を強化していく。

自分自身と宇宙(ソースであり根源)との繋がりを強化。

そのエネルギーにこの春分は大いなる助けになると思います。

I AM 私は存在する。

宇宙(神・ソース・根源)との約束は皆様ひとりひとりの中に存在するのだと私は思っています。

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I AM 私は存在する。 春分の日遠隔一斉ヒーリング

お一人 ¥8,800-

お申し込みフォーム

(自宅の空より)



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