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琉球神界からのお呼びーその4

の続き


私の友達が、私の話を叔母である『ユタのおばさん』に話をしたらしい。

すると、

『その子、呼んでらっしゃい。』


とお呼びがかかった。



その頃の私は、神ダーリからのターりるっていう状態にあった。

体が思うように動いてくれない、怠い。

いつも車酔いしている様な感じ。


ふと気づくと、胸のど真ん中に指で押されたような痕が出てきていた。

よくよく見ると肩にもふたつある。

痛くも痒くもないそこだけずっと指で押している様な痕だ。


なんだろうこれは?


と思っていた。


学校にはほどんど行けていなくて、

本当にヤバい状態。

学校を辞めることも考え始めていた。

このことはまだ、誰にも話していなかった。




ユタのおばさんに会うことになったその日、

ユタのおばさんの姪である友達に案内されて、ユタのおばさんを訪れた。


ユタのおばさん(友達からしたらユタの叔母さん)はまだまだ若い40代くらいじゃないだろうか。

私達の両親の世代だ。友達のお母さんが43歳くらいだったと記憶している。


神棚に向かって、うーとーと(拝み)をしている背中を眺めつつ、神棚に祀ってある観音様が目に入った。


あー、観音様だ。


私は観音様とは波動が合う。なので、ユタのおばさんの言葉に耳を傾ける準備が整ってきた。






『まず、その足。

その足は、父親方のご先祖さま方に無縁仏となっている方々がいる。

その無縁仏さん方からのSOSだよ。』

という。


その後、20歳の時に父方の実家である宮城県へ赴いたことがあり、

しっかり『無縁仏の墓』と書かれた墓石まであって、手を合わせた覚えがある。

どういった意味合いでの無縁仏なのかは不明。




そして、ユタのおばさんは続けた。

『家の中に3体居るね。

玄関と、、、お風呂場と、、奥の部屋。』


というので、

『あー、はい。玄関は、こうこうこういう人で、お風呂場はこうこうこんな人で、奥の部屋はこんな感じの人』と、その3体の特徴を言ったら、

『そこまで分からんけど。笑』と笑っていた。😆


『でね、ここからはよく聞いて。

あなた、体のどこかに神様の印鑑、、、マーク?っていうの?そういうのがない?』


というので、ピンときて、

『もしかして、、、これのことですか?』


とその指で押された様な痕を見せた。


すると驚きつつ、

『そう!それ! それね、神様の拇印、、というか指の痕ね。

拇印みたいなものね。  

それで、それは、『神様のお手伝いする人』っていう印なの。』


と言った。


『足の裏にホクロある?』

と聞いてきたので、


その場で靴下を脱いで確認をした。


足の裏にはホクロはなかった。


『と、いうことは、まだ猶予があるってことかも。

足の裏にホクロが出てきたら、覚悟しなさい。

もしこのままなら、良くて、、あなたは学校を無事に卒業できないよ。

悪くて、、卒業する前には死ぬね。』



と言ってきた。


普段ならこういうネガティブな感じの言葉を聞くことになれば、端っから信用しないんだけど、

その頃の自分は、その今の状態と照らし合わせたら、学校行けてないし、体調悪いし確かにヤバいよなーー。。。って思えた。


神の手伝いをするというのも何度となく聞いてきたこと。

特に驚くことはなかった。


誰が何をどう言った、、ではなく、

要は、どういうタイミングで、どのような言葉を耳にするか。

その言葉で、自分自身がどの様に反応して、どの様な答えを導き出させるのか、が重要なのだと思う。


『あなたは、自分で火の神を降ろせる人だから、自宅の台所に水と塩と線香立てを用意して、

火の神を降ろしなさい。

そして、ご先祖様の無縁仏の件は、今は分からないから誰か他の人に助けを求めてくれとお願いしなさい。あと、家の中にいる幽霊達のこともお願いしたらいいよ。』


というので、言われた通りに火の神を降ろした。


火の神は、郵便屋さんのような役割もしてくれるそうで、必要なことを必要な神様のところに託けてくれるらしい。


無縁仏様方の件と幽霊さん達の件は火の神にお願いして任せた。


翌日、なんとなく足の裏を見ると、昨日まで無かったホクロが、足の側面近い裏にあった。


え。ホクロ?まじ?


となったのを覚えている。



それまで、まあ、猶予はあるのだろうからじっくり考えようと思って、

頭の中をぐるぐるさせていた。

沸々と湧き上がる怒りもあった。


だって、私の人生じゃん?私の好きにさせてくれんの?

なんで神様のお手伝いしなきゃならんの?

神様のお手伝いって何?

怖いと思っていた幽霊って、助け求めてきてたの?

私、助けられるの?ということは、私の方が幽霊より強いんじゃ?

そんなことで、私色々と痛い思いしたの?

そんなことで、体調不良起こしてんの?

そんなことで、学校行けてないの?


なんか、理不尽極まりない!!!!!!



と、ブチギレてた。笑


考える猶予があると思っていたのに、すでにホクロは出てきている。


ということで、益々ブチギレた。



私という人間を尊重してくれるなら、

やってやろうではないか!!


と火の神に向かって、啖呵切って、神人(かみんちゅ)宣言となったのであった。



今思い返してみると、単なる『反抗期』だったんだと思う。

私は親に対しては反抗期なるものはなかったのだけど、

神様に対しての反抗期みたいな感じ。守護親とはよく言ったものだ。


沖縄では、守護親と書いて、しゅごしんと読む。守護神のことだ。



その後、足の痛みも全く気にならなくなり、

体調もあっという間に回復し、

あと1時間だけでも欠課、または遅刻しても留年という状態だったにも関わらず、

しっかりと補習も受け進級し、無事に卒業した。


日常的に心のあれこれを考える、物事の理を学ぶなど指導が入る様になった。


物事の理は、外にあるわけではない。

自分の内側の中に入っていくことで見つけることができる。

悩みは外側では解決しない。

自分の内側にのみ、答えがある。


そういうことを実践の中で気づいていかなければならなかった。


私の指導霊さんは、すっごくスパルタだったと思う。💦



高校3年生の頃は、何故か、般若心経の写経することになった。

確か、母が何故か般若心経にハマっていて、一緒に写経しようと言ってきたのだった。

面白そうだから、一緒に写経した。

そのことが後々に色々と役に立ったので、これも神様の計画の一つだったのだろう。



そういえば、、高校生の頃に母が呼んだユタに連れられて、あちこちの龍宮神の拝所回りもした。

いつもご挨拶していた龍神の所も行ったけど、なんか顔合わせ的な感じのご挨拶だった。

私は水の気によく引っ張られていたようで、龍神にご挨拶した後、気のバランスも整い、

長年悩まされていたアレルギー性鼻炎が治った。年中鼻水に悩まされていたが、

すっきりする様になって、たまに埃が多い場所にいるところ以外では、普通に過ごせる様になった。

こういうことが、学びにもなって、面白いなーと思った。


あんまりユタとの関わりがあるわけでは無かったけど、こういう人のお手伝い的なことをしているユタさんたちはすごいなーと、感心したりする。


私の場合、神様のお手伝いとしての役割がある、それはユタとは違って人の役に立つことではない。

なので、人知れず、、、というところで動くことが殆ど。そしてお金にならない。笑




神人として動く人の中で優秀な人ほど、しっかりと世の中の常識、ルールを知っていると思う。

要は、神が示していることが出来ればいいのではなく

しっかりと世の中の常識の中で考え、神が意図していることをどういう風にこなしていくかを模索し、現実的なところと、そうでない部分との調和を促しながら、目的を果たす。

しっかりと自分が一体何をしているのかを分かっていることが望ましい。


簡単にいえば、迷惑になることを避けられる人!


たまにニュースとかで取り上げられる迷惑系の神人さんもいたりするので、

そこら辺の頭脳が回る人でないとねー、、と思うのであった。

神ダーリ中の頭が働かない時期はこういうことがよくあるのだと思うけど。





続く。






Photo by Keita Higa.




*沖縄でいう神は、琉球神道の神々、守護神、先祖神などなどある。

どの神がすごいというのではなく、どの神もそれぞれの役割を持っている。

沖縄は、先祖信仰、多神信仰なので、通常は宗教ではない。


*ユタのいうその人の神は、大抵は守護親・守護神であり、神格化したご先祖であることが多い。その親族&ご先祖を門中(ムンチュウ)といい、ユタになる時に門中での契約(神界での)

が行われる。




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