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執筆者の写真Acchi MooN

琉球神界からのお呼びーその2




14歳のある日、

母が分厚い紙のファイルを持ってきた。


『あんた、これ、、、興味ありそうだから、、どう?』



と渡された。



中身を見ると何やら手書きでびっしりと書かれたものをコピーしてファイルにまとめたものだった。


パラパラっと捲って見てみる。

そこには多分、個人的にまとめたものであろう、ユタの作法のあれこれ。


要は、ユタ修行やる?


とのことだった。



その時の自分の感想は、

『面白そうだけど、書かれているのは方言だから、よく分からない。』だった。笑



どこで手に入れたか分からないけど、私の親って。。?


と思った次第。




今、思い返すと、何度となく『神様のお手伝いする子』とあちらこちらのユタに言われてきたので、それでどこかのユタに渡されたのだと思う。



もしかすると母自身も言われていたのかも知れない。

娘を巻き込もうとしたのかも。笑





〇〇島の千里眼で有名だった(すでに他界している)お爺さんに母が会いに行った時、


『あんたに、あやっていう娘さんいるでしょう?(私の本名)

背が高くて、男の子みたいな、、、口も悪い、、、、いるよね?』


と言われ、肩身狭くなってた後、


『だけど、この子は観音様だよ。神様のお手伝いする子、神になる子だから、大切に大事に育てなさい。』



と言われたらしい。(叔父談)




叔父は、その話を私にした後、

『意味わかるよね?どういうことかわかるよね?

お母さんが、君にそれを伝えていないのは、これを聞いた後に高飛車にならないようにと思ってのことだよ。』


と言っていた。



この話を聞いた後から、

私の中では、『神とは?』

という疑問が生まれ、それをどう自分の中に落とし込んでいくのかが課題になった。



これらの言葉が意味するところは、言葉そのままの意味ではない。

これらを聞いて、それをどう受け取っていくか、自分自身の中の葛藤とどう折り合いをつけるのかが、本来の意味なのだろう。

と、幼い私は考えていた。

今思うと、昔も今もブレていないな、私。




で、

幼い私が出した答えは、


『私は誰かの神ではない。私は私自身の神である。私自身が私を信頼できるよう努めよう。』


だった。笑


それは、私が何か特殊、特別であるという意味合いは、横に置いておいて、

『だって、みんな神様なんだから。』

から始まり、

『だから、私も神なんでしょ。私の、私だけの神は、私自身。』


なので、それをちゃんと自覚していくための布石の言葉だった。

と思った。



多分、それは当たっている。




ユタ修行は、やらなかった。

自分の中で、そっちじゃない。と感じていたし、

さほど興味もなかった。


(数年後、神人(神様のお手伝い)宣言をすることになる話は後ほど)






14歳の自分は、

『30年後くらいに地球の軸がずれ始める。

その時に鍵になる。そういう自分でいられるよう、努める。』


と言っていた。

漠然としたものだったけど、鍵=役割

という認識だったと思う。


『私は鍵だから、沖縄に来て、鍵になるための修行が始まった』


的な厨二病的な発想。


その30年以上経った今、やってるよ、役割をちゃんと。笑

今、思い返してみても、よくまぁ、、、うん。10代の直感力ってすげーなーって思う。笑。



そして、自分自身が青写真に沿って生きてきていたことにびっくりするわー。



続く。



















*青写真=ブループリント=生まれる前に計画してきたと言われている人生計画



*ユタ=沖縄の霊能力者、ユンタク(お喋り)から来たであろう語源。

色々な方々とお喋りしながら先祖や琉球神界の神々のメッセージを伝える。

ユタになるには、様々な通過儀礼がある。

民間カウンセラー的な存在。







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