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執筆者の写真Acchi MooN

宇宙神界からの呼びかけーその3

 

からの続き。

 

石原家にてYさん、そして全国方々からやってきた方々とまったりとした日々を過ごした。

お一人お一人の人生のストーリーを聞きながら、今まで培ってきた私の人生の物足りなさを感じた。

みんなとても個性的な方々で多くの刺激を貰った。

UFOを見た興奮も相まって、私の頭の中はどんちゃん騒ぎを起こしていた。笑

私の人生がそこから始まったと言っても過言ではないかも知れない。

 

みなさんそれぞれが帰途につき、静まり返った日々の中、

私は、本を読み漁っていた。

 

秋田のサニアシンの男性に『バシャール』を勧めらていた。

Yさんからのおすすめの本もあった。

 

相棒さんがアメリカに帰国し、何日も何日も本を読む日々が続き、私の魂の震えが起こる日々となった。

この震えはなんだろう。この感覚はなんだろう。このはっきりとした確信のような感覚。。

 

この魂の呼び声というほどの感覚は、今まで経験のない感覚だった。

 

自分という魂、そしてその導きにコネクトしていることに気づいていく。

 

 

兄の結婚を機に、実家を出ることになった。

一人暮らしの予算を作るために一時的に叔父の家に行くことになった。

 

叔父の家は、新築で建てた家でご先祖様たちのお仏壇があったが、

叔父夫妻は仕事の都合上、違う場所に住んでいた。

 

誰も住んでいない家に住まわせてもらって、ご先祖様方のお仏壇をケアしながら半年ほど寝泊まりした。

仕事場までの距離がかなりあったので、仕事に出かけるだけの日々。

お金を使う暇もなかったのであっという間にお金も溜まった。

 

仕事場の近くに引っ越そうかと考えているある日、

夜寝ていると金縛りにあった。

金縛り、、、というか、体がだるく動けない感覚。

 

何かがコンタクトを取ろうとしているように思えた。

 

なんだろ?幽霊じゃない、、何か、もっと違う何か。。。

 

と思っていると、

語りかけてきた。

 

 

 

『僕はね、北谷のガジュマルだけどね、、、、。』

 

 

。。。。はい?

 

 

沖縄の人っぽい喋り方だ。

 

ガジュマルって、木の名称だけど、、、キジムナーでなくてガジュマル?

 

と思った。

 

キジムナーはガジュマルの木に住む妖精だ。

その妖精ではなく、ガジュマルの木、本人だという。

 

 

 

すると目の前に綺麗な風景が現れた。

 

高台から街を見渡し、その奥に海が見える。

 

そのガジュマルが見えている風景のようだ。

 

北谷って、、海側の街だよなぁ、、、。高台の方は北谷だったっけ?と何となく考えていた。

 

見せてくれているその風景は、早送りのように昼夜を繰り返し、だんだんと街が大きくなり、

埋め立てられて行ったのか、海がどんどん遠くなっていった。

 

『僕たちガジュマルは、どんどん地上にいられなくなっていった。僕たちガジュマルは、切り倒されコンクリートで埋められているけれど、

でもね、それでもいいのだよ。

僕たちは皆、根っこで繋がっている。

それをこうして、君に伝えられていることが重要なんだ。そのことを伝えたくて。。』

 

 

 



2008年にもこの話は書いてある。

 

 

その当時は、まだ、ワンネスという言葉は一般的に知られる言葉ではなく、

私自身の認識不足もあった。

 

ガジュマルの言う言葉通りに受け取っていて、単に『そうなんだー』くらいの認識でしかなかった。

 

ここからワンネスとは?と言う課題が始まった。

まだ1990年代中盤のことだった。

 

その後、仕事場の近くに住もうと思い、家探しを始めた。

 

仕事場は沖縄市にあったので、その周辺を探した。

愛犬もいたので古い一軒家もいいかも?と思い、不動産に行くと、北谷にあるという古い一軒家を紹介してれた。

 

不動産の案内でそこに向かうと、何やら高台へと登っていく。

 

その高台のちょうど真ん中あたりに車を止め、道路沿いにある家を案内してくれた。

車から出ると、そこから広がる眼下の風景はとても素晴らしかった。

そして、その感動と共にガジュマルが見せてくれた風景を思い出した。



(写真は現在に近い風景、当時は手前の公園はなかった、

もう少し高めの位置からのものだった)

 

 

というか、その風景そのものだった。

 

ブワッととてつもないエネルギーを感じて振り返ると、

細い道路向こうの上の方に大きなガジュマルがあり、そのガジュマルが広がって、ちょうど家の上に位置していた。

 

『あぁ〜あなただったのね。』

 

 

と感動の再会?

これは、ここに住むことになる流れだよね。

 

とそこに住むことになった。

 

 

その家に住んでいた2年間は、かなり濃いものとなった。

 

母屋と離れがあったのだが、

離れはコンクリート作りで屋上があった。

 

毎日仕事から帰ると、缶コーヒーを片手に屋上に行って、空を眺める。

 

すると必ずクリスタル・ベル(宇宙連合のUFO)が出現し、元気付けてくれる。

相棒さんがいない日々、とても虚しくて、悲しくて、寂しかった。

月を見ながら何もかも放り出して帰りたい。と無性に思った。

帰りたい?どこに?

 

と思いながら、踏ん張り続ける日々。

 

いつまで踏ん張ればいいのだろう?

何もわからないことが不安だった。

 

ただただ前を見続ける。

 

友人だった人たちとのいざこざや、仕事の方向転換、

今は亡き親友の病気の発症もこの時期だった。

 

自身の内側の課題は、外側の現実に映し出される。

それをどう自分と向き合って、どう現実を向上させていくか、

その大きな壁、一つ一つを乗り越えていくことが自分の役割であることも知っている。

 

自身のことなのだから役割とは違うのでは?と思う方々もいると思う。

だけど、ミクロマクロ視点で捉えると、自身のことをしていくこと、それが歯車式に繋がって、

大きな意味を成す。

 

誰かが何かを成し遂げると、そこに目に見えない光の道が出来る。

それをまた他の誰かが同じ課題にぶち当たって、壁を乗り越えるための光の道を見つける。

その光の道を、また違う誰かが見つけて通る。

こうやって多くの人が道を踏み固めていくことで、後世の人たちは今よりももっと簡単にその道を通っていくことが出来るようになる。

 

言い方を変えたら、光のグリッドを繋げていく作業だ。

 

 

今あるスピリチュアルな情報や課題も何も新しいことではなく、多くの人々の努力によって築かれてきたものだと知っている。

チャネリングが大分容易に出来るようになってきているのも、

スピリチュアルと言う言葉が受け入れられてきているのも、

宇宙の法則という理解が追いついてきているのも、

多くの人々、先代、先先代が人知れず努力してきた、役割をこなしてきたからこそのものだと

知っていてもらいたいと思う。

 

今の自分たちが出来ることは、すでに誰かがその道を作り出してきたから・なのだ。

そのことが『感謝』と言う想いに繋がるとより一層多くの恩恵を受け取ることにもなる。

受け取るための器がそこにあるからだ。

 

 

このガジュマルの家では、たくさんの苦悩と新たな学び、自身への問いかけ、自分自身の至らなさ、そして信頼などを学んだ。

 

気持ち的にひと段落した頃、また引っ越すタイミングとなった。

大きなコウモリも住んでいたガジュマルさんに別れを告げて、その一軒家を後にした。

 

十数年後、このガジュマルさんは、切り倒されてしまい、その切り株さんに最後の挨拶をしに行った。

 

続く。

 

 

 

グーグルマップで見つけた。

すでに切り倒されていたガジュマルさん、、根っこが残っていたようで育ってる!!!



 

 

 

何のためにもならない誰のためでもない・お喋り動画ACCHIのゆんたくさびら シリーズです。

聞き流しできる動画なのでお暇な時にでも。




 

 

 

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